突然ですが、生きる意味について考えたことはありますか?
「とある大きな目標を達成したい」
「大好きな人と日常を過ごしたい」
と、はっきりした想いをお持ちの方もいれば、
「そんなことを考える暇なんてない…」
「それが分からなくてモヤモヤする…」
と考えている方もいると思います。
仕事がうまくいかず、どん底にいた頃のわたしは、生きる意味について悩んでいました。
楽しくないのに、辛いのに、考えたくはないのに、なぜか必死で生きるとは?と思いを巡らせていました。
職場から離れた公園のベンチでひとり栄養ゼリーを口に流し込み、深夜を過ぎたベッドの中でひとつも進まない時計の短針を眺めていたあの日々は、いつも色褪せていました。
そんな過去のわたしに、今のわたしならこう声をかけます。
「たぶん、『最期まで生きる』ができていればいいと思うから、そんなに自分を責めなくていいよ」
『最期まで生きる』
生まれてから死ぬまでの時間を過ごす、それだけでいい。
何も達成できなくても、失敗をしてばかりでも、大丈夫。
だって、人間以外の生き物はただ『生きている』だけなのに誰も文句を言わない。
思考が発達している人間だけが、自分にもお互いにも妙に厳しくて、難しく考えすぎている気がするから。
そして、「まあ、でも、昔から複雑に考えるのが好きだからね。満足いくまで底に沈んで、そのうち上がってくればいいんじゃない」と続けます。
こうあるべきという声に押しつぶされそうだった過去のわたしには、きっとまだ誰かの言葉を受け入れる余裕なんてないと思います。
それでもいつか、そういえばこんな言葉を受け取ったなと底に沈みながら思い出すでしょう。
我ながら単純すぎると笑って、久しぶりに(どんな形であれ)笑える自分がいたことに驚いて、少しだけ涙を流すはずです。
このブログは、そんな過去のわたしの、そして似たような状態にあるかもしれない誰かの、生きづらさや苦しさを少しでも和らげるお手伝いがしたいという想いで始めました。
なお、しんみりとした真面目なお話ばかりを書く予定はないので、気を楽にしていただいて大丈夫です(笑)
さて、話を戻しましょう。
わたしにとっての"生きる意味"とは、『最期までの時間を生きる』ことです。
ありがたいことに不死ではないので、最終ゴールにはちゃんと辿り着けます。
だからこそ道中は楽しんでもいいのではと、真面目になりがちな自分自身に言い聞かせています。
もちろん、この考えをあなたに押し付けるつもりはありません。
ただ、そんな考え方もアリなのだなと、ちょっとだけ気楽になってもらえたら、とてもうれしいです。